2008年12月27日 (土)

PROVISION ⅠReading

プロビジョンⅠ Reading

The Portrait ─肖像画─





昔、ある所に父と息子がいた。親子はとても仲がよく、貴重な芸術作品をコレクションに加えて楽しんでいた。ピカソ、ゴッホ、モネ、その他多くの芸術家による非常に高価な作品が家の壁を飾っていた。父は一人息子が経験を積んだ美術品収集家になっていくのを満足して見つめていた。世界中の美術品収集家を相手にしているときの息子の目利きと商売気質を見て、父は誇らしく思いほほ笑んだ。



冬が近づいていた。国は戦争中で、息子は母国を守るため出て行った。ほんの数週間後、父は電報を受け取った。彼の最愛の息子が戦争のさなか行方不明になっていた。

もう二度と息子には会えないかもしれないと思いながら父は新しい知らせを待った。数日もしないうちに彼の不安は現実のものとなった。息子は仲間の兵士を医師のもとへ連れて行く間に死んだのだった。

ショックと孤独で苦しみ悲しむ父にクリスマスがやって来ようとしていた。冬は─彼と息子がとても楽しみにしていた季節は、もはや彼の家に喜びを運んできそうになかった。



クリスマスの朝、ドアにノックの音がして意気消沈した父は目を覚ました。ドアに向かうとき壁にかけられた芸術の傑作を見ても、息子がもう家には帰ってこないことを思い出すだけだった。

ドアを開けると手に大きな包みを持った兵士がいた。「私はあなたの息子さんの友人でした。彼が死んだときに救出されていた者です。少しお邪魔してよろしいでしょうか?あなたにお見せしたい物があります。」彼は父にそう自己紹介した。話しを始めると、兵士は、息子が父のは言うまでもなく自分の芸術への愛をいかに皆に語っていたかを話した。「私は芸術家です。」兵士が言った。「それであなたにこれをお渡ししたいのです。」

包みを開けると息子の肖像画が出来てきた。たいていの人はこれが天才の作品だとは絶対思わないだろうが、絵には息子の顔が細部にわたって描かれていた。父はいたく感動して兵士に礼を述べ、絵を暖炉の上にかけると約束した。数時間して兵士が立ち去ったあと、父は仕事に取りかかった。約束どおり、有名な芸術作品をわきに押しのけ肖像画を暖炉の上にかけた。そしてそれからいすに腰を落ち着け、受け取った贈り物をじっと見つめながらクリスマスを過ごした。



続く数日間、数週間で、たとえもう息子とは一緒ではないとしても息子の命は息子が会ってきた人々によって生き続けることを父は悟った。息子は撃たれる前に何十人もの負傷した兵士を救出したことを程なくして知ったのである。息子の勇敢な話が次々と耳に入ってきて、父は息子を誇りに思うようになり、もうそれほど悲しく思うことはなかった。息子の肖像画はすぐに父の一番大事な宝物になった。父は世界のほかのどんな絵よりもこの肖像画を愛した。父は近所の人々にそれが今までもらった中で最高の贈り物だと言った。



翌年の春、父は病気になりこの世を去った。美術品収集家は競売を待った。彼らは男の一人息子の話を知らなかった。父の遺言にしたがい、美術品はすべてクリスマスに競売にかけられることになっていた。父が最高の贈り物を受け取った日である。

まもなく競売の日がやってくると、世界中の美術品収集家が世界でもっとも見事な絵の数々を競り落とそうと集まった。

彼らの夢はこの日かなうことだろう。新しく絵を買ったあと、私のコレクションこそ最高だと多くの者が言うことだろう。



競りはどの美術館の目録にも載っていない絵から始まった。息子の肖像画だった。競売人は最初の入札価格を求めた。部屋はシーンとしていた。「では100ドルから参ります。誰か?」彼は聞いた。数分たった。誰も口をきかなかった。「あんな絵どうでもいい。ただの息子の絵じゃないか。もういいから他の絵に行こう。」部屋の後ろの席で誰かが言った。

他の人々も同感だった。「いいえ、この絵を最初にお売りしなければならないので。」競売人が答えた。「さあ、誰が息子さんをお持ちになりますか?」とうとう父の友人が口を開いた。「その絵、10ドルでどうかね。それしか持っておらん。その子を知っておるので欲しいのだ。10ドルだ。」

「他に誰かいませんか?」競売人が呼びかけた。

さらに沈黙が続いたあと、競売人が言った。「さあもうひとつ、もうひとつ、それ売った!」

競売人がハンマーでテーブルを打った。部屋に歓声があふれ、誰かが叫んだ。「やっとこれで次に行けるぞ!お宝を競り落とせる。」

競売人は参加者を見て競売は終了だと告げた。誰も信じられなかった。「終わったってどういうことだ?みんな老人の息子の絵を買いに来たんじゃないぞ。他の絵はどうした?ここには数百万ドルの絵がある。どういうことか説明してくれ!」

競売人は答えた。「簡単なことです。父親の遺言にしたがい、息子さんを持っていく人がすべて手に入れるのです。」/


PROVISION Ⅰ lesson10

プロビジョンⅠ lesson10

Living Together ─ともに生きる─





1984年5月、中村哲医師はパキスタン北西部の町、ペシャワールでボランティア活動を始めた。地元の住民と日本人ボランティアには多くの習慣上の違いがあった。当初、これらの違いのために中村医師は地元の住民を助けるのが難しかった。

たとえば、イスラム教の伝統では女性は他人、特に男性に肌を見せることは許されていない。この習慣により、イスラム教の女性は医師の診察を受けに行くことができなかった。彼らの習慣を尊重して、中村医師は女性患者を世話するため女性スタッフを雇うことにし、さらに男性と女性とで別々の診察日を設けることにした。

中村医師は人々を助けるとき常にその土地の習慣を考慮しようとした。こうした誠実な態度で、彼は地元の住民と信頼関係を築き始めた。

その後1991年に、彼はアフガニスタンの高山地帯、ダラエヌールで診療所を開いた。彼が来るまでそこの人々は医療サービスを利用する手段がなかった。



2000年6月のある日、中村医師は自分の診療所の前に大勢の人々がいるのに気付いた。彼らは医師の診察を受けるために行列を作って待っていた。彼らの多くは赤痢による下痢を患っていた。中村医師は、人々の中に腕に赤ん坊を抱えた女性がいるのを見かけた。その赤ん坊は動きもしなければ泣きもしなかった。彼はすでに死んでいた。女性は悲しそうな様子で、その目は何かを訴えていた。中村医師はこう振り返る。「あの目は絶対に忘れられないものです。犠牲者の多くが幼い子供でした。何でこんなことになったのか考えていました。」

その年、深刻な干ばつがその地域を襲い、川と大地を干上がらせた。人々はきれいな水を手に入れられなかった。汚い水たまりの水を飲んで赤痢にかかった子供もいた。「もしきれいな水があったら、もっと多くの人々が助かっていただろうに。」中村医師は考えた。「どうか死なないで。がんばって。」こう祈る人々がいたので、彼は人々にきれいな水を供給できる井戸を掘ることに決めた。



2000年7月、計画に着手した。井戸の掘り方を知らなかったので、中村医師は日本人の井戸掘りの専門家に助けを求めた。毎日のように大勢の人が死んでいくため、彼らはすぐに井戸を掘り始める必要があった。しかし井戸を掘るのに十分な機械がなかった。機械に加えて地元住民の伝統的な道具を使うことにした。

中村医師は井戸を掘るのが予想していたよりはるかに難しく危険であることに気付いた。地中には巨大な岩が数多くあり、岩の周囲は掘るのが難しかった。岩が井戸の壁から落下して奥深く掘っている人に当たることもあった。そうした困難にもかかわらず、彼らは作業を続けた。2001年8月までに、512の井戸を掘るのに成功した。これらの井戸のおかげで20万人の人々が生きのびた。彼らは水を探しに他の場所へ行かずにすんだ。

けれども全てがうまくいったわけではなかった。ある日、地元の若い働き手が井戸に落ちて命を落とした。中村医師はその死を悼むため男性の村を訪れた。中村医師が彼の家族に会ったとき、彼の父親が言った。「こんな遠くまで私たちを助けに来ようとする人なんて誰もいなかった。あなた方のプロジェクトに感謝します。この村の5,000人の命が救われました。息子もあなた方と働いたことを誇りに思っているでしょう。」この言葉に中村医師は深く感動した。



ヒンドゥークシュ山脈の雪がアフガニスタンの大地に水をもたらすが、年を追って雪がどんどん少なくなっている。再び深刻な干ばつがこの地域を襲い、井戸が飲用と農業用に十分な水を供給できなくなるのではないかと中村医師は心配した。彼の次なる計画は、インダス川の支流のクナール川につながる運河を作ることだった。2003年3月、中村医師は長さ14キロの運河の建設に着手した。運河が損傷しても、外国の援助によって運河が修復されるのを待たなくてもいいように、ふたたび地元の伝統的な道具を使うことを選んだ。このようにして、彼らはいつでも自分たちで運河を扱うことが出来きた。

みんなが未来への希望を抱いてこの計画に参加した。同時に彼らは人々をよりよい生活に結びつける夢を共有した。

中村医師は20年以上にわたりパキスタンとアフガニスタンで働いてきた。彼は地元地域で暮らし、地元住民と話をし、彼らが本当に必要としているものを見つけ出そうとしてきた。中村医師たちのスタッフと地元住民では違う点がたくさんある。彼らが共通の基盤を築くのは簡単ではないが、その計画で彼らは団結した。「互いに敬意を払いともに働くことによって、人間として何か共有するものを持つことが出来る。」中村医師はそう言う。彼は人々と生活の喜びと悲しみを共有し続けるだろう。/