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2008年5月 7日 (水)

POWWOW READING lesson4

パウワウリーディング lesson4

Mahatma Gandhi -A Simple Man with Great Dreams-

─マハトマ・ガンジー─

マハトマ・ガンジーは偉大な夢を持つ純粋な男だった。夢の一つが、戦争や貧困なしに人々が平和に暮らすことだった。ガンジーにはもう一つ夢があった。インドが英国の支配から自由になることを望んでいた。彼はインド人たちに暴力を使わずに独立を求めて闘うよう話した。インドが1947年に独立を勝ち取ったのは彼の努力のおかげだった。それが彼がインドの父と呼ばれる理由である。

ガンジーは1869年にインドで生まれた。小学校では特に頭のいい少年というわけではなかった。けれども彼は強い向上心を持っていた。彼の教師の一人は言った。「マハトマは英語は得意、数学は並、地理は苦手。だが常に最善を尽くしている。」

高校のとき、ガンジーは英国に勉強しに行くという夢を持っていた。若いガンジーは英国こそまさに文明の中心地だと考えたのである。19歳のときその夢がかなった。彼は法律を勉強するためロンドンにやってきた。最初は、このインド出身の小柄で内気な男は英国での生活が困難だと感じた。しかし彼は一生懸命勉強した。1891年、彼は弁護士としてインドに帰った。

ガンジーはインドで弁護士として数年間働いたが成功しなかった。ある日、彼は南アフリカで仕事を依頼された。彼は新しい仕事を即座に受けた。

南アフリカも当時は英国の支配下にあった。到着後ほどなくしてガンジーは人種差別を経験した。彼は南アフリカの首都のプレトリア行きの列車に乗っていた。車掌がそばを通りガンジーを見ると、彼は怒って言った。「ここに座ってはいかん。ここは一等車だ。知っているだろうが有色人種はみんな三等車に乗らなければならん。」

「一等車の切符を持っています。」ガンジーは説明した。「弁護士として働くためここに来たところです。」

「三等車に戻らなかったら次の駅で放り出すぞ!」車掌が叫んだ。

ガンジーは席を立つことを丁寧に拒んだ。そのため彼は列車から放り出された。けれども彼は人種差別に立ち向かう勇気を出したことで自分に誇りを持った。

年月が過ぎた。ガンジーは南アフリカでインド人の人権を求める偉大な指導者になった。彼は不公平に対する非暴力闘争という独自の方法を生み出した。彼はこう記した。“私は大儀のためにいつでも死ねるが、決して誰も殺すことはない”

インド人は南アフリカで英国の支配と戦うガンジーを誇りに思った。彼は英雄としてインドに帰ったが称賛を好まなかった。ガンジーはインドの独立を望みはしたものの暴力を使う仲間のインド人には反対した。彼はまだ英国に大きな敬意を持っていた。

ガンジーは重要な会議に招かれた。中には英国と戦って力ずくで追い出したいというインド人もいた。ガンジーは仲間たちの怒った顔を見渡した。それから口を開いた。

「同胞たちよ。」彼は話し始めた。「私たちは英国人と共に長い道のりを歩んできた。彼らが去るときは友人として送り出そう。もし本当に何かを変えたいというのなら、列車を攻撃したり剣で誰かを殺したりするよりいい方法がある。私は彼らの心を変えたい。殺すのではなく。」

「英国に対して非暴力、非協力を用いよう。」彼は続けた。「もし私たちが彼らに協力するのを拒んだら、10万人の英国人は35,000万人のインド人を支配することはできない。私たちインド人がバスや列車を運転している。私たちが店や工場、官庁で働いている。もし働くのを拒んだら、この国は止まるでしょう。そうしたら英国人は私たちの話を聞かなければならなくなるでしょう。」

独立を求める非暴力闘争は何年も続いた。ガンジーは本を出し、演説し、平和的なデモに参加した。彼はインド中の貧しい人々を助けたかった。貧困をなくすため、彼は教育と地場産業の振興を奨励した。

ある日、友人のネルーが彼に言った。「インド中の人々が君のことを“マハトマ”と呼んでいる。ただ悪い知らせもある。戦闘が頻発している。多くの犠牲者が出た。」

「ならば戦闘が終わるまで私は断食しよう。」ガンジーは答えた。

「それでも戦闘は終わらないと思います。」

「もし私が死んだら終わるでしょう。英国人兵士がインド人を殺し、インド人が英国人兵士を殺す。目には目を、では世界全体が盲目になるだけだ。戦闘は止めなければならない。」

数日後、ネルーが会いに来たとき、ガンジーは断食のせいでとても弱っていた。ネルーは言った。「戦闘は止みました、マハトマ。明日カルカッタで1万人の学生が平和を求めて行進するでしょう。」

ガンジーは友人のほうを向いて弱々しく言った。「望みを失ったときはいつでも、歴史を通じて愛と正義が常に勝ってきたことを思い出す。」

1947815日、ようやくインドは独立国になった。長い自由への運動は、それはほぼ100年間続いたが、終わった。ニューデリーやカルカッタでは大きな式典が開かれた。

ネルーが最初の首相になった。どこにいる人でもガンジーがその職につくことを望んでいた。けれどもガンジーはそのことに関心がなかった。

「君に最初の首相になってほしい。」ガンジーはネルーに言った。「インドは、長い歴史を持っているが、新しい国に変わりつつある。将来、多くの困難があるだろう。君のような指導者が必要だ。」

1948130日、ガンジーは射殺された。世界中の人々が非暴力抗議の偉大な指導者の死を悲しんだ。けれどもガンジーの思想は世界中の他の指導者に影響を与えた。たとえばキング牧師は、彼は1960年代に黒人の権利を求めて闘ったのだが、多くのことをガンジーから学んだ。アルバート・シュタインはガンジーについてこう言った。「未来の世代の人たちは、かつてこれほど偉大な男が地球上にいたとは信じないだろう。」/

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マハトマ・ガンジーは、1869年にインドで生まれたのだが、人々に共に平和に生きて欲しいと思った。彼は英国で学んで弁護士になった。彼が人種差別を経験したのは南アフリカにおいてだった。南アフリカとインドで彼は英国の支配に対する指導者として闘った。けれども彼はインドの人々に非暴力闘争という方法を用いるよう頼んだ。自由を求める長い闘いのあと、1947年にインドは独立国となった。ガンジーは友人のネルーに最初の首相になるよう頼んだ。ガンジーの考えは世界中の他の多くの指導者たちに影響を与えてきた。/

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