POWWOW READING lesson5
パウワウリーディングlesson5
Ice Bound ─氷に閉じ込められて─
①
「これは一生に一度のチャンスだよ!」兄の一人、スコットが私に言った。「僕だったら南極に行くために何でもするよ。」宇宙航空産業のエンジニアである別の兄のエリックが言った。「エンジニアは必要ないかな?チャンスがあったら僕も行く。」
父はそこまではっきりしていなかった。「あそこはえらい寒いぞ。」彼は言った。「知っているだろうが、あそこは脱出できないぞ。もし友達が病気になったり死んだりしたら、面倒を見られるのはお前だけしかいないんだぞ。」
彼は続けた。「もしお前が虫垂炎やあるいは癌にでもなったらどうする?お前は他の人間なら救えるが、自分を救えるのか?自分の命を救うために自分を手術する勇気があるのか?」
「もちろん、あるさ。」二人の兄が同時に言った。父はただ首を振るだけで、いつものように母の発言が決定付けた。「あなたはいつだって逆境に強かった。自分で考えられる一番いい人生を送りなさい。人生は長ければいいって物じゃないわ。」
こうして私の南極基地の医師になるという計画は家族に支えられた。しかし、父の心配が数ヵ月後に現実のものになるとは夢にも思わなかった。
②
ニュージーランドのクライストチャーチを出発し、1998年11月21日にアムンゼン・スコット基地に到着した。それはオーストリアのアルプス並みの高さがありサハラ砂漠並みに乾燥している海抜約2,700メートルの氷の上に作られていた。そこの気温はマイナス75度まで下がることがある。この場所はまた最も風が強く最も人気のない場所でもある。
基地は高さ17メートル、直径50メートルの巨大なドームで覆われている。基地を風から守っているのがこのドームである。三つのプレハブ二階建ての建物が中にある。建物内は暖まっているが、ドーム自体はそうではない。ドームの内側は外とほとんど同じくらい寒い。
2月から10月の間の八ヵ月半の冬の期間中、南極は寒すぎて飛行機が着陸できないので外界から完全に遮断される。
その上、その期間中の半分は日光が差さないので暗闇で過ごす。私はその冬、40名の人々と基地での生活を共にした。私は自分も含め、チームを構成するメンバー全員の面倒を見た。
③
私は基地のクリニックを運営し、凍傷から砕けた骨まですべてを治療した。クリニックでの仕事に加え、他にもやるべきことがたくさんあった。そこでの生活は常に死と隣り合わせで、多忙で危険だった。
余分な物資を持ち込むのが難しかったから、基地にあるものはすべて貴重だった。もし機械が壊れたら、誰かが何としても修理しなければならなかった。とはいえ予備の部品はほとんどなかったけれども。私は物を直せる人を大いに尊敬するようになった。こうした天才の一人がケン・ローブで、彼は以前、アラスカでパイロットとして働いていた。
余分な人間もいなかった。誰もが重要な役割を果たした。苛酷な環境、外界からの隔たり、チームワークの必要性によって極地に生きる人々の間にとても強い共同体意識が生まれた。
与えたり貢献したり、愛情を注いだり犠牲を払ったりしたことで人々は愛された。外の世界とは違うが、外の世界は外見やその他そのようなくだらないことのために愛される。ここで重要なことは本当に重要なことなのである。
④
2月15日、基地は冬に向けて戸締りをし、10月まで出入りできない状態になった。程なくして、私は胸にしこりを見つけた。乳がんかもしれないと思った。確信が持てるまでチームのほかのメンバーには言わないことに決めた。いずれにしろ、飛行機が着陸するのは不可能だった。
胸のしこりはだんだん大きく痛くなっていった。ついに私は仲間とアメリカのASAに話すことに決めた。アメリカのがん専門家に指導されて、私は自分の生体組織検査を行った。友人の助けを借りて、リアルタイムの通信映像を使用した。生体組織検査によって私ががんだということがはっきりした。
真っ暗闇の7月10日に飛行機で緊急の医療用品を投下することが決まった。南極基地のすべてのメンバーが投下への準備を始めた。誰もが貢献する方法を見つけた。ローリーとダールはパイロットを私たちの基地に導けるように気象状態をチェックした。トムはコンピュータシステムと無線をチェックし、さらに念を入れてチェックした。
ジョンは1週間ずっと整備したりまるで生き物を相手にしているかのように話しかけたりしながら乗り物の修理に取り組んでいた。投下地点を照らすたき火の用意をする人もいた。
⑤
9時に、越冬隊長のマイク・マスターマンが人々に明かりをともすよう求めた。音が聞こえるより先に飛行機の姿が見えた。サッカー場の半分もありそうな巨大な飛行機が近づいてきて、合計6個の荷物を投下し、ニュージーランドへ引き返していった。空中投下は大成功だった。飛行機の搭乗員は無事で、私たちも誰もけがをしなかった。
新しく届けられた薬を使い、私は小さなクリニックで化学療法を始めた。マイクと他のメンバーたちが私を大いに助けてくれた。
最初は治療はとてもうまくいっていたが、薬の副作用のせいで髪が抜け始めた。とても悲しかったが、他の女性メンバーが励ましてくれ、私はまた先に進むことができた。結局、がんは薬に対して耐性を持ち、腫瘍が再び大きくなり始めた。
南極の冬はまだ終わってはいなかったが、私たちは救助を求めることに決めた。私に残された時間がわずかだと考えたからだった。こんな低温下で飛行機を着陸させるのはとても危険だった。全米が私を心配し、誰もがテレビの報道を固唾を呑んで見守った。ただ自分がニュースの種になったことで、私は自分が本当に嫌になった。
⑥
2機の飛行機に乗った救助隊は10月6日にニューヨークを出発し、その4日後にクライストチャーチに到着した。春の嵐と低温のため彼らは10月14日までそこに留まらなければならなかった。
10月15日、一機の飛行機がマクマード基地を離陸したが、天候のせいで引き返した。翌日もまだ悪天候だったが、着陸できるほど十分に暖かくなる見込みだった。嵐にもかかわらず飛行機が30分以内に着陸すると知らされたとき、私たちは跳び上がった。
引き揚げはうまくいった。南極でこれまでで一番早くて寒い時期の着陸だった。私を見送ったあと、ジョンが基地のメンバー全員にメールを送った。「素晴らしい光景だった。地上は吹雪いていたが、飛行機が飛んでいくのを見ていたら、上空が開けて飛行機が青い空の真ん中を飛んでいた。」
私はアメリカに運ばれ、そこで外科手術を受けた。運よくがんは転移せず、私は回復している。
私は南極で死に直面したことに大きな影響を受けた。しかし私は、考えを変え新しい目標を見つける機会を得たことにとても感謝している。私は他の人ががんと闘うのを助ける素晴らしい機会を与えられている。南極での友情の絆が一生続くことを私は知っている。/
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ある日、15歳のカナダ人の女の子であるエイミーは、学校の帰り道でガンの卵のある巣を見つけた。彼女はこっそりそれを家に持ち帰ってガレージの明かりで温めた。
2日後、16羽の小さなガンが生まれた。彼女は彼らに2時間おきにえさを与え、とてもよく面倒をみた。赤ちゃんガンはいつでもどこでも彼女についていった。彼らは彼女のことを母親だと思ったのである。
ガンたちは大きく成長したが、カナダの冬は彼らにとって寒すぎた。彼らは冬の間は南に飛んでいかなければならず、さもなければ死んでしまう。しかし母親や父親がいなくてどうやって南に飛んでいく方法を知ることができるのだろうか?
エイミーは軽飛行機の操縦法を習うことに決めた。エンジニアである彼女の父と、彼女の友人たちは1週間昼も夜も働き、彼女に飛行機を作ってあげた。
冬が近づいていた。ついに彼女が飛行機に乗って空を飛ぶと、ガンたちはずっと南まで彼女についていった。とても長くて危険な旅だったものの、彼らは無事、アメリカの沼地に着地した。そしてエイミーにとってとてもうれしいことに、ガンたちは翌年の春にまた彼女の元へと舞い戻ってきたのである!
