UNICORNⅡ lesson6
ユニコンⅡ lesson6
Lone Vote –the life of Jeannette Rankin ─たった一人の投票─
①
“議長、私は今日、重い心で立ちます。…9.11は世界を変えました。今は最悪の恐怖が頭から離れません。それでも私は、軍事行動はアメリカに対するさらなる国際テロを防ぐことはないだろうと確信しています。”
これはカリフォルニアの下院議員バーバラ・リーの行った演説の一部である。ただ一人の勇気ある行動を取って、彼女は下院を420対1、上院を98対0で通過したある決議で反対の1票を投じた。その決議はアメリカ大統領に2001年9月11日の攻撃に関係した者には誰であれ“必要なあらゆる武力”を行使する権限を与えるものだった。投票後、女性議員のリーは多くの怒った人々に脅迫された。彼女の身の安全のため、しばらくボディーガードを付ける必要があった。
メディアの関係者の中には、国際貿易センタービルへの攻撃を、1941年12月7日の日本の真珠湾攻撃にたとえる人もいた。そして彼らはある一人の女性の名─ジャネット・ランキンを思い出した。
②
日本の攻撃の後、議員は開戦に賛成か反対かの票を投じた。その投票でも上院下院の471人中たった一人の反対者、終生の平和主義者であり女性同権論者だったジャネット・ランキンがいた。投票する前、ランキンは他の議員による乱暴で感情的な演説を聞いた。アメリカ人は奇襲攻撃を見て怒っていた。議員たちが考えている唯一のことはいつ日本と戦争を始めるかということだった。戦争熱が上院下院を支配した。しかしこのことはランキンに影響しなかった。20年以上にわたって彼女は世界平和のために懸命に働いていた。彼女は戦争は間違っているということを明らかにしたかった。
彼女はゆっくり立ち上がり言った。「女性なので私は戦争に行けません。ですから他の誰であっても行かせるのを拒否します。」彼女が“ノー”の投票をした瞬間、議場にいた数人の議員が彼女をののしった。彼女は“弱い女”とか“アメリカの恥”呼ばわりされた。議場を出ると廊下は怒った人々で一杯だった。彼らは「投票を変えろ!」と叫びながら彼女に群がった。
③
実際、ランキンが宣戦布告に反対票を投じたのはこれが初めてではなかった。1914年8月、ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発した。これはすさまじい戦争で、かなりの期間、ほとんどのアメリカ人がアメリカはヨーロッパの戦争に関わるべきではないと感じた。
その後1915年4月、ドイツは英国を行き来するいかなる船舶も攻撃すると発表した。同年5月、客船ルシタニア号が攻撃された。アメリカ人を含む1,200人近い人々が死んだ。世論は戦争で英国やフランスを助ける方向に変わり始めた。2年後、1917年4月2日にウィルソン大統領は議会に宣戦布告を要請した。
投票前、ジャネットは黙って座っていた。それから彼女は立ち上がって前の席を握りしめた。ついに彼女は視線を上げ、静かに言った。「私は自分の国は支持したいのですが、戦争に賛成票は投じられません。反対票を投じます。」
他の49人の議員が彼女に同調して“ノー”と言ったが、彼女が明らかに最も批判された。新聞は彼女が投票中に泣いたと偽って報道した。人々は彼女の決心は弱さから来ていると、そして彼女は非国民だと考えた。
④
ジャネット・ランキンは1880年にモンタナで生まれた。父のジョンは牧場主で、母のオリビアは元教師だった。当時モンタナでは、多くの地域より生活が困難だった。男性も女性もつらい野良仕事の多くを平等にやっていた。しかし男性と女性は多くの点で平等ではなかった。たとえば選挙のとき、女性は投票を許されていなかった。
1902年に大学を卒業したあと、ランキンは貧しい人々のためのソーシャルワーカーになった。1910年、シアトルに住んでいたとき、彼女は女性の選挙権を求めるグループに出会った。彼女は彼らの運動に関わるようになった。何ヶ月か懸命に取り組んだ後、ワシントン州で女性が選挙権を獲得した。
モンタナに戻ったとき、彼女は女性が選挙権を獲得できるようにとモンタナ中で演説した。ランキンや他の人の長年の努力のおかげでモンタナの女性は1914年にやっと選挙を許された。
ランキンはこうした出来事に励まされた。彼女は女性と子供の福祉のために働きたいと考え、議会に立候補することにした。女性だったので、彼女が選ばれるかどうかは疑わしかった。けれども1916年、ジャネット・ランキンは連邦議会に選ばれた最初の女性になった。
⑤
ジャネット・ランキンは2度、戦争に反対票を投じた。2度とも多くの人々が彼女を非難したが、中には彼女の勇気を称賛する人もいた。
彼女が1941年に“ノー”を投じたとき、一人の人が彼女に手紙を書いた。「あなたの小さな1票は闇夜の中で明るい星のように際立ちました。」
ある新聞もまた彼女を支持し、こう書いた。「100年経ったら人々はジャネット・ランキンの真の勇気を理解するだろう。彼女は戦争は間違っているという自分の信念を少しも曲げようとしなかった。」
第2次世界大戦後、ランキンは平和のために働き続けた。彼女は世界中で演説した。1968年、彼女はベトナム戦争に反対するデモで5,000人もの女性の先頭に立った。
晩年、彼女は“ノー”を投じたことを後悔しているかどうか聞かれた。「まさか。」彼女は答えた。「戦争に反対ならば、何があっても反対なのです。」1973年の死の少し前、ジャネットは友人に言った。「私は世界平和のためにできることはすべてしたと分かっているだけで、もうこの世を去ることができる。」
現在、連邦議事堂にはジャネット・ランキンの像がある。台座には彼女の言葉がある。“戦争に賛成票は投じられない”/
