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2008年10月31日 (金)

UNICORNⅠ For Reading

ユニコン Supplementary Reading
Silent Spring and Rachel Carson ─
沈黙の春とレイチェル・カーソン
A Fable for Tomorrow (form Silent Spring) by Rachel Carson
「明日のための寓話」(レイチェル・カーソン著『沈黙の春』より)


かつてアメリカの中央部に生命あるものがみな環境と調和して暮らしているように見える町があった。町は穀物畑や果樹園の丘のある豊かな農場の真ん中にあった。春には緑の野に白い花の霞がたなびいた。秋には松の木々を背景にオークやカエデ、カバの木々が鮮やかに紅葉した。秋の朝霧に見え隠れしてキツネが丘で鳴き、シカが野原を音もなく横切った。
沿道では一年のほとんどを通じて青い茂みや野の花が訪れる者の目を楽しませた。冬でさえ沿道は美しい場所だった。無数の鳥が雪の上に突き出た枯れ草の実や種をついばみにやって来た。実際、その田舎は鳥の数と種類が豊富なことで有名だったし、春と秋の鳥の渡りが盛んなころには人々がそれらを見に遠路はるばるやってきた。他に小川で魚釣りをしに来る人もいた。小川は丘から冷たく清らかに流れ出し、マスの泳ぐ日陰のある池を作った。ずっと昔、最初に移住者が家を建て、井戸を掘り、家畜小屋を作ったときからここはそんな様子だったのである。

その後、この地域に奇妙な疫病が忍び寄り、すべてが変わり始めた。その地域社会を何か悪い魔法が襲っていた。得体の知れない病気がニワトリの群れに蔓延し、ウシやヒツジは病気になって死んだ。いたるところに死の影があった。農民は家族に何人も病人が出ていると話した。町で医師らは患者たちの間に現れた新しい病気によってますます困惑した。大人たちだけでなく、子供たちの中にも急死する者や変死する者がいた。子供たちは遊んでいるときに突然発病し、数時間のうちに死ぬことがよくあった。
奇妙な静けさだった。たとえば鳥はどこへ行ったのか?多くの人々が戸惑い不安を感じて鳥のことを話した。裏庭のえさ台はさびれた。わずかにいる鳥はどこで見かけても死にかけていた。彼らは激しく身を震わせ飛ぶことができなかった。声のない春だった。かつて夜明けの鳥の声のコーラスで鼓動した朝も、いまや物音一つしなかった。野原や森や沼にはただ静けさしかなかった。
農場ではメンドリが卵を抱いたがヒナはかえらなかった。ブタを育てられない、子豚は一度に少ししか生まれないしその子豚もほんの数日しか生きない。農民はそう愚痴をこぼした。リンゴの花は咲き始めていたが、花の間をぶんぶん飛びまわるハチがいなかったので、受粉が行われず実がならなかった。

以前はあれほど人目を引いた沿道も今やまるで火に焼き尽くされたかのように茶色く枯れた草木が並んでいた。そこもまた静かだった。そこはすべての生物から見捨てられていた。小川でさえ生物はいなかった。釣り人ももはや訪れることはなかった。魚がすべて死んでしまったからである。
軒下の樋や屋根のこけら板の間には白い微粒の粉がまだらとなって残っていた。それは数週間前に屋根や芝生、野原や小川に雪のように降り注いだのだった。この病気に苦しむ世界で新たな生命の再生を沈黙させたのは魔法でも敵の攻撃でもなかった。人々が自らそうしたのだった。
この町は実在するわけではないが、アメリカか世界のどこかでこのような無数の町は容易に見つけられるかもしれない。私はここに描いたすべての災難を経験した町があるとは聞いていない。けれどもこれらの災難のどれもがどこかで起こり、実在する多くの町がすでにかなり多くの災難を被っている。不気味な亡霊がほとんど気付かれることもなく忍び寄ってきており、この想像上の悲劇は簡単に私たち皆が知ることになるだろう悲惨な現実になるかもしれない。
すでにアメリカの無数の町で春の声を沈黙させてきたのは何なのか?この本で説明してみようと思う。


Silent Spring: Before and After
沈黙の春:前と後

『沈黙の春』を出版する17年前の1945年、レイチェル・カーソンはDDTの危険性に気付いた。彼女は大衆雑誌に手紙を書き、DDTについての記事を書こうと申し出た。けれどもその雑誌社は興味を持たず、カーソンはさしあたりこの話は打ち切った。
その後1958年、彼女は友人の一人からこんな手紙を受け取った。
去年の夏、殺虫剤を散布している飛行機が私たちの小さな町の上空を飛びました。無害な散布はその日、私のかわいい鳴き鳥を7羽殺しました。翌朝、もう数羽の死骸を拾いました。その次の日の朝、1羽のコマドリが木の枝からいきなり落ちました。これらの鳥は皆ひどい死に方をしました。さらに悪いことに、害のない虫はすべて死んだのに、私たちは夏じゅうかつてないほどの蚊に襲われました。野生生物と人間への影響が分かるまで、空中からの毒の散布を止めなければなりません。
この手紙はレイチェルのDDTへの関心を再び呼び起こし、彼女は1962年に『沈黙の春』を書いた。

カーソンは『沈黙の春』で、DDTのような化学薬品が土や水、野生生物、人間への影響に関する科学的研究がほとんどなされないまま使われてきたと指摘した。化学薬品は長期間土に残留する。それらは生物の体内に入り、中毒と死の連鎖の中である生物から別な生物へと移っていく。地下水流に入り込む化学薬品もある。この汚染水は様々なところに湧き出て植物を枯らしウシを病気にする。水の一部は人間が飲む井戸の中に入り込む。
『沈黙の春』は19626月に『ニューヨーカー』誌で始まり、連載された。それは全土に警鐘を鳴らした。もう一つの有名な雑誌である『タイム』誌は過度に感情的な言葉を使って大衆を脅かそうとしているといってカーソンを非難した。彼女の分析は単純化されすぎていて、間違いだらけだと彼らは言った。その雑誌によれば、彼女の考え方を不公正で一方的だと見なす科学者や医師もいた。「どこかで水に殺虫剤を入れるとあらゆる場所のきれいな水の安全を脅かすことになる」というカーソンの主張はばかげていると言った。またさまざまな企業もカーソンをヒステリックな科学者呼ばわりしたり、告訴すると言ったりして彼女を非難した。

1962
10月、本が出版された2週間後、カーソンはニューヨークの会議で発言した。そのころまでには『沈黙の春』はベストセラーリストに登場していた。彼女は非難に対し一度だけこう言及した。「私が明日にもすべての化学薬品を放棄して昆虫に世界を譲り渡したがっていると信じている人々がいます。こういうことを言う人は『沈黙の春』を読んでいないか、あるいはもし読んでいたとしても正しく把握していません。たとえしたいと思ってもすべての化学薬品を明日にも放棄することはできません。私たちができること、そしてしなくてはならないことは、できるだけ早く危険な化学物質を新しくていっそう効果的な方法へと切り替える計画に着手することです。」
ケネディー大統領はこの問題を調査するため特別委員会を設置した。彼らの報告書殺虫剤の使用19635月に発表された。それはレイチェル・カーソンの見解をおおむね支持した。それには、これらの毒を使用する際の危険性に関する科学的知識が十分にないこと、およびそれらは使用される前に安全だと証明されるべきということが書かれていた。
『沈黙の春』は、これまでの中でもっとも大きな運動の一つに発展する環境保護運動を引き起こした。レイチェル・カーソンは1964年に56歳でガンで死ぬまで研究と著作を続けた。アメリカでのDDTの使用は1972年に禁止された。/

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