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2008年10月30日 (木)

UNICORNⅠ lesson10

ユニコン lesson10
Soseki In London ─
ロンドンの漱石


夏目漱石は文部省から派遣された研究生として約100年前に英国に行った。そのとき彼は33歳で熊本県第五高等学校の教師だった。19009月、彼は船で横浜を出発し、2ヵ月後にロンドンに着いた。
英国は当時、他の国々より発展していた。ロンドンにはすでに地下鉄網が張り巡らされていた。東京に最初の地下鉄ができる30年も前に、である。漱石の見るもの聞くものすべてが驚きだった。
彼は古本を買い、公園を散歩し、劇場に行って楽しんだ。彼はこのことを妻への手紙にこう記している。「君も劇場のすばらしいショーを見られたらいいのですが。あるショーでは60人くらいの女性が豪華な衣装を着て踊っているのを見ました。」
しかしながら、ロンドンでの漱石の生活はときどき困難だった。物価がとても高かった。授業料が高すぎるし授業も役に立たないと感じたので、彼は大学にかようのをやめてしまった。それにその町のことをよく知らなかったため、名所を見物しに出かけるときしばしば道に迷ったり違う電車に乗ってしまったりした。

漱石は自分の英語についてこう記している。「私の、話す能力は言うまでもなく聞き取る能力が十分でないのが残念だ。」彼は日本では英国人と話しをするのに大して苦労はしなかったが、ロンドンの人々はしばしばあまりに速くしゃべるので理解できなかった。彼はとくにイーストロンドンの労働者階級の人々の話すロンドンなまりが理解しづらいのを知った。
しかし、実際は漱石の英語は相当よかったはずだ。彼は演劇を理解できた。また英文学の個人教授も受けていた。彼が自分の英語に批判的だったのは、おそらく自分の英語が完璧であることを望んだからだろう。
当時の日本人の英語の能力に触れて彼はこう記している。「日本人は難しい本を読めるしたくさん難しい語を知っているが、口と耳ははるかに劣っている。もし将来多くの外国人が日本を訪れたら、私たちの英語は彼らとコミュニケーションを取るのに十分ではないだろう。」
残念ながら、100年たっても漱石の指摘したこの問題は解決されていない。

漱石は英国に2年間滞在した。滞在中、彼は5ヶ所の下宿に住んだ。家賃が高すぎたため、最初の2ヶ所はそれぞれ2週間ずつしか滞在しなかった。
3
番目の下宿は安かったが、数ヵ月後に家主が別な地域に引っ越して新しい下宿を開くことに決めた。漱石は家主はぜんぜん好きではなかったが、彼女の妹のケイト・ブレットは好きだった。家主と違ってケイトは物静かで思慮深い女性だった。ケイトが新しい下宿に移らないかと頼むと、彼は承諾した。
やがて若い日本人科学者の池田菊苗が越してきた。彼はとても明るい人物で、漱石は彼との付き合いを楽しんだに違いない。けれど数ヵ月後、池田は他の場所に引越し、それを機に漱石はもっといい下宿を探すことにした。彼は新聞にこんな広告を載せた。「当方日本人。文学趣味を有する英国人家庭の下宿を求む。N.N.W.SWの閑静で便利なアパートならなおよい。」

漱石は広告の返事をいくつか受け取った。1901年、彼は二人の年配の姉妹、リール婦人とその妹によって経営されていた下宿に引っ越した。姉妹は教養があり、環境も漱石に合っていた。彼は英国を去るまで1年半そこに住んだ。漱石はそこでかなり幸せだったが、多くのことに頭を悩ませた。
大学で始めて英文学を学び始めてからというもの彼は「文学とは何か?」という一つの簡単な疑問に取り付かれていた。彼はその明確な答え、すなわち人生の目的をまだ見つけていなかった。英国で彼は答えを見つけたいと思った。けれども実際、学問として英文学を研究することは、英国内でさえかなり新しい概念だった。
英国で半年間学んだあと、とうとう彼は独自の文学論を打ち立てなければならないと実感した。池田菊苗の論理的な思考法が彼にインスピレーションを与えた。それ以来、彼は人付き合いを避けて大半の時間を一人で読書や思索をして過ごした。その閉ざされた生活によりついに神経衰弱を引き起こした。


リール姉妹は漱石の精神障害のことをとても心配した。彼女らは当時英国ではやっていたサイクリングをしてみるよう勧めた。漱石はアドバイスに従いサイクリングを始めた。自転車で公園を走りまわっているうちに周囲の世界との接触を取り戻した。これが彼の精神状態を改善したのかもしれない。彼は自分の下手な自転車の技術のことをコミカルなエッセイ、「自転車日記」に書いてさえいる。
周囲の人々の親切のおかげで漱石は回復した。190210月、彼はスコットランドに1週間の旅行をした。それは英国滞在中に行った唯一の観光旅行で素敵な時をすごした。ようやく彼は生活に喜びが戻ってくるのを感じた。同年12月、彼が買った400冊の本と一緒に彼は日本へと出発し、19031月下旬に戻った。
漱石の書いたエッセイにこうある。「私のロンドンでの2年間は人生で最悪の2年間だった。」漱石は大いに苦労したが、その苦労から、後の著作に反映される多くの貴重なことを学んだのである。/

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