UNICORNⅡ lesson9
ユニコンⅡ lesson9
The Younger Days of Patch Adams
①
私が16歳のとき父が急死した。父と2人きりで1週間すごした直後のことだった。母と弟が旅行で留守にしていて、そのとき父が私に突然アルバイトを数日休んでくれと頼んだ。私が成長期にあったとき、彼はほとんど家におらず、家にいるときはたいていいすに座ってお酒を飲んでいた。父が参加した戦争について話して欲しいと頼むといつも彼は泣き始めるのだった。
第2次世界大戦と朝鮮戦争が父の精神を破壊した。朝鮮戦争中、彼の無二の友が手りゅう弾に覆いかぶさり父の命を救った。父はそのことでひどく罪の意識を感じていた。しかし一番の罪の意識は家族に対するものだった。父はよい父ではなかったことを私に謝った。
やっと父と仲良くなった矢先、彼を失った。彼は心臓病と高血圧を患って第2次世界大戦から帰ってきた。私たちが父と子としてやっと仲良くなった1961年のその週末、彼は心臓発作を起こした。
②
父の死の2、3ヵ月後、私はまだ大きな喪失感に苦しんでいた。胃が痛み始めたのは高校の最終学年の間のことだった。エックス線検査で胃潰瘍だと分かった。その年、2回入院した。
大学に入ってまもなく、高校の恋人のダナと分かれた。さらに私にとって新しい父親のようになっていたおじが自殺した。
すべての希望を失い、自殺することも考えた。母の助言で精神病院に入院した。そこに2週間いたことが人生の転機となった。
私の回復を一番助けてくれた人々は医師ではなく家族や友人、同室者のルーディだった。ルーディは3度離婚し15の職を転々とした。彼の人生は失敗と絶望に満ちていた。私にはよく見舞い客が訪れたが、ルーディに会いに来る者は誰もいなかった。人がそんなに深い孤独を経験することがあるとは想像もしなかった。私の苦痛など彼の苦痛に比べれば何でもないように思えた。
愛に囲まれていたのに、心を十分に開いてそれを受け入れてこなかったことに気付いたのはそのときだった。それは私の個人的な真実だった。
③
退院後、人を助ける職業に就きたがっている自分に気付いた。医療の職に決めた。3年間の医学部進学過程を経て、1967年にバージニア医科大学に入学した。
私をアメリカの医療制度に直面させたのは医大の研修だった。患者の健康状態に注意を集中させろと医師は言った。私は各患者の性格や生活習慣もよく把握しておくこともまた重要ではないかと考えた。私は患者と仲良く話をするのが好きで、よく冗談を言い合った。このことで私を非難する医師もいた。彼らは医師と患者との間に「職業上の距離」を置くべきだと言った。そのせいで教室にも病院にもほとんど喜びがなかった。この制度を変えたかった。
医療がさらにビジネス化していることも大きな問題だった。多くの医師は患者に高額で不必要なことも多い検査を受けるように言い、多くの種類の薬を処方する。そのせいで健康保険の費用がかさみ、今では3,000万人以上のアメリカ人が払えない。
④
医療制度は危機的状態にある。費用は抑制がきかず、医師と患者の関係が深刻な問題になっている。将来的にこの状況が改善されるのかどうか疑わしい。私はこれらの問題が互いに密接に関連していることに気付いた。相手の気持ちを理解するという優れた医療の本質的な部分が利益と同じくらい重要であるということはほとんど聞かれなかった。
最終学年中にいろいろ経験してこれらの問題を痛感し、将来的に強く影響された。研修の一環として貧しい人々のための無料診療所で働くことを選んだ。これこそ待ち望んでいた機会だった。やっと友情とユーモアのある自分のやり方で医療を実践できた。ある日、赤いゴムの鼻をつけて仕事をした。うれしいことに、簡単に患者と親交や信頼を築くことができた。利益を主たる目的とせずに人を助ける。自分が働きたいのはこんな雰囲気なのだと実感した。もし医療を改善する考えを持っているなら自分で実行すべきだと悟った。
⑤
1971年に卒業したあと、私は少数の友人たちとバージニア州のアーリントンの小さな町でクリニックを開いた。その後数年間、クリニックは何度も移転した。最初の数年は私たち全員にとって実験だった。患者を診察するとき、何時間もかけて家族や友人、仕事、趣味を知るようにした。診療に対して支払いを求めたことは一度もなかった。
1979年、「ゲズンハイト・インスティテュート」という名前を案出したが、これはドイツ語で良い健康という意味である。翌年、ウェストバージニアの美しい田園地帯に310エーカーの土地を購入した。ここでなら、私たちの夢が本当に現実のものとなるだろう。
幸福な、楽しみや愛に満ちた共同体を作り出すことができた。私たちのようなホームスタイルの病院や診療所はどこの誰でも無料で利用できるのが当然だろう。こうした環境でなければ患者は私たちの「健康とはたんに病気ではないというだけではない」という哲学を理解できないだろう。それは栄養、運動、趣味、自然、驚嘆、創造性、奉仕、平和だ。個人の健康をその家族や社会や世界の健康と切り離すことはできない。ようするに健康は幸福に基づいているのである。/
