2008年6月10日 (火)

POLESTARⅡ lesson7

ポールスターⅡ lesson7

In Search of Light

フィンセント・ファン・ゴッホは生涯でたった1枚の絵しか売らなかったことは多くの人々が知っている。生涯を通じて彼は自分の作品が一般の人々に拒絶されるのを見た。彼はいつも貧しかったが、画商をしていた弟のテオドルスが彼にお金や画材用具を送って彼を支えた。シオは弟がいつか世間に認められるだろう天才だと信じた。

現在、世界中の人々がファン・ゴッホの作品を愛する。その人気により彼の作品は世界でも有数の高価な絵となった。フィンセントの死後1世紀、ある日本企業が『ひまわり』として知られる絵に400万ドル近い値を付けた。

何がファン・ゴッホの絵を特別なものにしているのだろうか?それらは生命力と活力に満ちている。色がほとばしるかのようだ。それらを正しく評価するには美術館で実際に見る必要がある。厚く塗り重ねた色と力強いタッチを見ると、手を伸ばして触れてみたくなる。

フィンセント・ファン・ゴッホは1853330日にオランダの南部で生まれた。4年後、フィンセントの大好きな弟のテオが生まれた。14歳で学校を退学した後、フィンセントは美術商や書店の店員、教師、伝道師、社会福祉員を含む多くの仕事を試みた。仕事により彼は英国、ベルギー、フランスを転々とした。27歳のときついにフィンセントは絵を学び画家となった。その後37歳で死ぬまで、彼は900点近い油彩と1000点以上の素描を生み出した。

フィンセントの初期の作品は濃い影を持った暗い色彩の絵だったが、後に彼は短く力強いタッチをした独自のとても表現豊かな明るく快活に描くようになった。この変化をもたらしたものの一つが浮世絵との出会いだった。

1880年代後半、フィンセントが絵を描いているとき、ヨーロッパで日本趣味がとても流行していた。フィンセントは日本の版画をとても高く評価したが、それは影がなく光を浴びていた。彼はアンテロープで版画を集め、そこからテオにこう手紙を書いた。「私のアトリエはかなりいい。日本の小さな版画を壁に留めてあるが、それはとても楽しませてくれる。」パリに移ってから彼は日本の版画を買い続けそれらを熱心に研究した。1887年、彼はパリのカフェで日本の版画の展覧会を開き、彼もまた日本の版画を油彩で模写した。ついにフィンセントとテオは合わせて500枚近い浮世絵を集めた。

浮世絵の鮮明な色のせいでファン・ゴッホは日本が明るい光の国だという印象を持った。彼は日本の芸術家を高く評価し、北斎と広重をとても称賛した。実際、彼は彼の全作品は日本特有の文物に基づいていると信じるようになった。18882月、彼は日本を連想させる明るい光と輝く色彩を求めてフランス南部のアルルに移った。

アルルで彼はテオに手紙を書いた。「ここで私の生活はますます自然に近く生きる日本の画家のようになるだろう。」芸術家の友人、エミール・ベルナールにあてた手紙では、「君に手紙を出すと約束していたけれど、私はこの国が明るい雰囲気と明るい色彩効果に関する限り日本と同様に美しいということからまず語ろうと思う。水が風景の中で美しいエメラルド、あるいは濃い青のアクセントになっている。」アルルで、ファン・ゴッホは芸術家のユートピアを作り出そうと夢見た。芸術家の共同を確立することを願って彼は“黄色い家”を借りたが、そこに彼はアトリエを構えた。ポール・ゴーギャンの到着を待っているあいだ、フィンセントは友人の部屋を飾るために有名なひまわりの絵を描いた。

188810月、ゴーギャンがアルルに到着した。2人の芸術家は描いたり議論したりしながら一緒に作業した。フィンセントにとって最も幸せな日々だった。けれどもこの強い個性の持ち主の2人のあいだに緊張状態が生じ、9週間後に彼らは喧嘩をした。フィンセントが左耳の一部を自分で切り落とした有名な事件を起こしたのがこの時である。

ゴーギャンが立ち去ったあともフィンセントは精力的に描き続けた。けれども精神的には次第に不安定になっていった。そして生活の安定を図って病院に入院した。

病院を退院してすぐ、フィンセントはパリ北方の村、オーヴェルに落ち着いた。そこでわずか70日間で彼は70枚の風景画や肖像画や花の油彩と30枚以上の素描を生み出した。1890年の夏、彼は銃を借りて野原に行って自分を撃った。彼は2日後、部屋の壁を覆う浮世絵に囲まれ、テオの腕の中で死んだ。テオは悲嘆にくれ、半年後、33歳で彼も死んだ。2人の兄弟はいつも親密だった。現在、フィンセントとテオの墓はオーヴェルで並んで位置している。/


2008年6月 6日 (金)

POLESTARⅡ looking for information

ポールスターⅡ looking for information

The Most Important 20th Century Invention

94

ここに1999年に行われた20世紀の重要な発明品に関する世論調査の結果がある。アメリカの高校生300人とその親300人が、最も重要な発明品を選ぶために投票した。発明品は6つのグループに分けられた。これらのグループのうちの2つ、“レジャーと娯楽”と“消費者製品”を見てみよう。

95

①〈レジャーと娯楽〉

生徒と親を合わせた投票で62パーセントで、テレビは生徒(53%)と親(70%)に“レジャーと娯楽”で最も重要な発明品に選ばれた。けれども生徒の24パーセントはCDを選び、一方レコードからCDへの変化が重要だと感じた親は13%だけだった。

投票の結果の他の発明品にビデオ・コンピュータゲーム(合わせて12%)とクレジットカード(合わせて8%)があった。

96

②〈消費者製品〉

投票では生徒69%、親79%で、パソコンが最も重要な消費者製品だった(合わせて74%)。電子レンジ(あわせて10%)、コンタクトレンズ(合わせて9%)、ポケベル(合わせて3%)を抜いてパソコンが断トツ1位だった。生徒(14%)は親より(3%)よりもずっとコンタクトレンズが重要だと感じた。驚くことではないが、生徒(6%)の2倍以上の親(14%)が電子レンジに投票した。ある科学者がパソコンがとても人気のある理由を説明した。「パソコンは2つの理由で選ばれる。すでに人々の生活に大きな影響を及ぼしており、また将来性も大きい。」

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生徒と親の意見が違うのは説明できるだろうか?“イエス”のようである。私たちは自分が生きている間に起こったことの方が身近に感じる。年配の世代がテレビや電子レンジがとても重要だと考え、一方その子供たちがこれらの物を当たり前だと思うのは当然のことである。親はテレビや電子レンジがない生活がどんなものか知っている、あるいは少なくとも想像ができる。

同様に人々は彼らにとって馴染み深いものに投票する傾向がある。たとえば子供たちはCDやコンタクトレンズ、ポケベルを選んだ。

親と子供では20thの発明品について若干の意見の不一致があるものの、両者とも将来の発明品は想像もつかないものになるだろうと信じている。今世紀のどの発明品が最も重要になるか聞かれると、両者ともハリケーンや地震を防ぐ技術が将来に最も大きな影響を及ばすだろうと信じている。/


2008年6月 4日 (水)

POLESTARⅡ function2

ポールスターⅡ function2

Aliens May Be Hiding from Us

86

(アンナとベンは夜空を見上げている)

アンナ:わあ、今夜は星がよく見える。どこかあの辺に宇宙人ってきっといるね。

ベン:本当にそう思ってんの?僕は宇宙人はいないって確信してるけど。

アンナ:どうしてそんなこと言うの?

ベン:もし宇宙人がいるならどこにいるのかってフェルミっていう物理学者が尋ねたんだ。これについて考えた。どうして見つけられないのか?僕は宇宙人は存在しないっていう結論に達したんだ。

アンナ:面白い問題ね。でも宇宙人を見たことがないからって存在しないとは言い切れないんじゃない?宇宙人はもう地球に来てるって可能性もあるかもしれないよ?

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ベン:どうやって証明するの?

アンナ:たとえばペルーにナスカの地上絵ってあるでしょ。一説ではあれは宇宙から訪問者が来たときの目印なんだって。たぶん、宇宙人はたびたび地球を訪れている。

ベン:あれは宇宙人とは関係ないと思う。あれは昔の人が天の神のために描いたんだよ。

アン:たとえそうだとしても宇宙はすごい広くて古いから地球以外のどこかにも生物がいるはずなの。

88

ベン:じゃあ宇宙人が存在する様子がないのはなぜ?どうして宇宙は死んでるみたいに静かなの?

アンナ:たぶん宇宙人は地球からすごい離れたところに住んでるのよ。一番進んだ科学でも行けないくらい遠い距離。

ベン:本当に?もし本当に宇宙人が存在するならそんな問題解決してるような気がするんだけど。

アンナ:ある程度探検し終えたら満足してそれ以上遠くには行かなくなったっていう可能性もあるじゃない。

ベン:人間は月を調査した後ももっと探検するために火星に宇宙船を飛ばしている。宇宙人だって同じ事をするはず。

89

アンナ:人間が考えもしなかった理由があるのかもしれない。たとえば宇宙の他の場所には全然興味がないとか。

ベン:シャイだったりしてね。でも知的生命体ならきっと宇宙に興味を持つだろう。

アンナ:身を潜めてるのかも。地球は遅れてて、邪魔しちゃ悪いって。

ベン:完全に身を潜めるなんてできるのかな。僕はやっぱりエイリアンはいないと思う。宇宙にいるのは人間だけ。人間が唯一の知的生命体。

アンナ:ベン、空を見て。あんなにいっぱい星があるのに人間だけしかいないなんて信じられない。/


2008年6月 3日 (火)

POLESTARⅡ lesson6

ポールスターⅡ lesson6

Smart Guessing

何年か前、求職者の面接をしていて「あなたの経歴は?」と聞くのに飽きた。そこで私は求職者がどれほど賢いか知るために一つ問題を出すことにした。これがそれである。

“あなたはヨットに乗って海の一番深い所、マリアナ海溝の上にいます。その場所でヨットから鉄球を落とします。鉄球が海の底に着くのにどれくらい時間がかかりますか?”

先を読む前に問題の解き方に特に注意して君自身も解いてみて欲しい。

“十分な情報がない”から完全にあてずっぽうに答えただろうか?“正確な答え”を出そうとするうちに細かい数値にとらわれ途方に暮れただろか?あるいは最も重要な二つの問題、マリアナ海溝の深さと水中での鉄球の落下速度に集中し、それから推測しただろうか?

これがビジネスや創造性と何の関係があるかって?大いにある。実社会では必要なすべての情報がないまま決定を下さなければならないことがしばしばある。

たとえば新機種の携帯のマーケティングの企画を頼まれたとしよう。君はアメリカにある携帯ショップの店舗数を知りたいと思うだろう。残念ながらその数字が分からない。どうするか?

大きな都市のイエローページに頼るというのも一つの答えだろう。都市の人口10万人あたりの店舗数が分かるだろうし、そうすれば全国の店舗数を推測できるだろう。

この店舗数に関する質問はエンリコ・フェルミの名を取ってフェルミの課題と名付けられているが、彼はノーベル物理学賞を受賞した物理学者だった。フェルミは彼の学生たちにどうやって自力で考えるかを教えるためにこのような問題を使った。フェルミの課題はそれを完全に解くのに必要な情報が全部はそろっていないのである。

かつてフェルミは、シカゴにピアノの調律師が何人いるか大学の学生に聞いたと言われる。この質問に答えるために、質問をもっと細かく易しくしてそれから勇気を持って推測するよう彼は言った。

シカゴの人口はどれくらいか?300万人が妥当なところだろう。1家族あたりの人数は?まあ平均4人だとしよう。ピアノを保有している家族数は?3家族につき1家族だとしよう。ならばシカゴには25万台のピアノがある。それぞれのピアノはどれくらいの頻度で調律されるのか?たぶん5年に1度だろう。すると年に5万回調律がされることになる。1人の調律師は1日に何台のピアノを調律できるだろうか?4回か?あと年に何日できるか?もし労働日数が250日なら一人で年に1000台のピアノを調律することができる。

したがってシカゴには約50人の調律師が働いている─終わってみればこれはイエローページに載っている実際の数字にかなり近い。

なぜ推測がそんなに正確だったのだろうか?どんな段階でも、君の推測は大きすぎるか小さすぎたかもしれない。けれども君の間違いはおそらく互いを相殺しただろう。

ここにもう一つ難問がある。君たちはおそらく黒がもっとも熱を吸収し、白がもっとも熱を反射することはすでに知っているだろう。しかしその中間にある他の色はどうだろうか?どうすれば答えを見つけられるだろうか?ヒント:季節は冬、ただしあまり寒くない。

ベンジャミン・フランクリンの解法は見事である。彼はいろいろな色の布の見本を日当たりのよい雪の上にただ乗せただけだった。「数時間で。」彼は報告した。「黒は太陽で最も温められて、日が当たらないくらい雪の中に深く沈み込んだ。ダークブルーもほとんど同じくらい沈んだ。ライトブルーはダークブルーほどは沈まなかった。他の色は明るくなるにつれ沈まなかった。白は雪の表面に乗ったまままったく沈まなかった。」

最初の鉄球の質問の答えを出しただろうか?答えは、鉄球がマリアナ海溝の底に着くのに1時間かかる。

推測できただろうか?もちろん容易にはいかないだろう。最初にマリアナ海溝がどれ位深いのか知る必要がある。海の一番低いところは一番高い山の高さと同じくらい低いと君は推測したかもしれない。地球で一番高い山はエベレストで約9キロの高さがあると君はたまたま知っていたかもしれない、そこでマリアナ海溝は約9キロの深さがあると推測できたかもしれない(実際はマリアナ海溝は深さ11,000メートルなので、君の推測はちょっと低い)。次に、鉄球が水中をどれくらいの速さで落ちるのか知る必要がある。君は深さ3メートルのプールの底に落ちる鉄球について考えたかもしれない。君は重い球が水中を3メートル落ちるのに約1秒かかると想像できたかもしれない。これは実際の数値に近い。これらの2つの推測から50分という答えが出てくるだろう。これは実際の数値から約10分しか離れていない。/


2008年5月27日 (火)

POLESTARⅡ lesson5

ポールスターⅡ lesson5

Future Talk: An Interview with Bill Gates

アメリカの有名なテレビアナウンサーのラリー・キングが、20世紀の終わりにビル・ゲイツにインタビューを行った。

KING:私はあなたとこの会話をパソコンで行っていますが、21世紀にメールは郵便局に取って代わるのでしょうか。

GATES:メールは郵便局に取って代わることはないでしょうが、現在、郵便局が運んでいる大量の紙には取って代わるでしょう。郵便局と運送会社は彼らが運ぶ手紙の量が減るのを見るでしょうが、同時に彼らが運ぶ商品は増えるのを見るでしょう。現在、私たちが直接する買い物は多くは将来、ネット上で行われるでしょう。私たちが物理的な物を買ったときはいつでも、それは配達されなければならないでしょう。

K:カタログはどうでしょうか?なくなるでしょうか?

G:買い物の多くは電子カタログを見てなされるでしょうが、それは紙のカタログより便利です。オンラインカタログはあなたのこれまでの買い物履歴を残しておくことができますから、あなたが欲しがりそうなアイテムを勧めることができます。オンラインカタログは、常時古いアイテムを外し新しいアイテムを加え、常に最新の状態にしておくことができます。

K:いつも近くにキーボードとプリンターがあるので、子供がきれいに字を書く方法を習得しないのではないかと心配しますか?

G:学校に通っていた頃、たまたま字がうまくない子供が悪い評価を下されるのは不公平だといつも感じていました。私は電卓だけしか使わない子供のほうがずっと心配です。彼らは掛け算や割り算を手で書いてできるようにはなりません。ですから、彼らは数学の基礎を理解できません。

K:鉛筆と紙にも用途があるのですか?

G:鉛筆と紙はずっと使われていくでしょうが、今使われているほどには使われなくなるでしょう。

K:キーボードはどう変化するのでしょうか?

G:キーボードは重要なままでしょうが、マウスと現在分け合っている入力装置としての重要性は失われていくでしょう。これからの10年、あるいは20年で、パソコンは話されたり書かれたりした言葉を理解するのがとてもうまくなるでしょう。

K:今から30年後の平均的な家庭でパソコンがどのように使われるのか教えてください。

G:家の壁を覆う薄くて平らなスクリーンをたくさん持つでしょう。それを手にすっぽり入る小型装置で操作するでしょう。スクリーンは欲しい視覚的情報は何でも提供してくれるでしょう。

K:電力がストップしたらどうなりますか?

G:現在、私たちは電気に頼っていますし、これからの半世紀もやはり頼るでしょう。もし停電があったら、あまり仕事はできないでしょうが、ただバッテリー技術もそれなりに向上して、短期間の停電ならパソコンのすべてが必ずしも止まるということはないでしょう。

K:現在のパソコンはアンティークになるでしょうか?もしそうだとしたら、何がパソコンに取って代わるでしょうか?

G:今では5年たったパソコンはアンティークだと見なされます。パソコンは急速に進化しています。ずっと小さく速くなり、日常生活に適応するでしょう。

K:家庭ではニュースやエンタテイメントをケーブルテレビよりもむしろインターネットから得るようになりますか?

G:ニュースやエンタテイメントはインターネットから家のケーブルテレビや電話接続に届けられるでしょう。私たちはいろいろな装置を使ってこの情報にアクセスするでしょうが、その中には現在のテレビのように見えるものもあるでしょう。

K:21世紀に関して何が心配ですか?

G:世界の急激な人口増加が心配です。食料や水不足、汚染、都心の人口過密など、地球で人口を増やしすぎることの結果について考え始めるよう人々に促す必要があります。

K:現在ある問題で21世紀には解決されている問題は何だとお考えですか?

G:はっきりとは言えませんが、いくつかの医学的問題は医療技術が向上するにつれ片付けられることは分かります。最大の努力はバイオ産業によってなされていて、それは科学者がヒトゲノムや特定の病気を理解するのを助けています。

K:21世紀のオフィスがどんなものかご説明いただけますか?

G:21世紀のオフィスは家庭で持つような、平面のスクリーンがたくさんあるでしょう。そしてそれらのスクリーンがひとたび十分に薄く、安く、高質になったらどこにでも使われるでしょう。今の財布や携帯や新聞を持ち歩くように、小型スクリーンを持ち歩くでしょう。会議室もあるでしょうが、会議に参加する何人かの人は他の場所にいて通信回線で結ばれるでしょう。顔を合わせるのが重要でない時は家から参加する人もいるでしょう。/


2008年5月13日 (火)

POLESTARⅡ lesson4

ポールスターⅡ lesson4

Living with Movies -Toda natsuko

みなさんは洋画を見るとき字幕と吹き替えのどちらが好きですか?映画を見ながら字幕を読むのは簡単ではないでしょう。声を吹き替える利点は字幕を読む必要がないことです。ですが洋画を原語で見る興奮は何にも変えがたいと私は思います。

たとえばトルコ映画を字幕で見たら映画を楽しむだけでなくトルコの言葉がどう聞こえるのかが分かります。そればかりでなく、役者が演じているときの実際の声を聞くことができます。役者の声というのは演技の重要な一部です。この理由のため字幕を好む人が多いという事実を忘れてはいけません。

大学を卒業したあと、私は映画の台本の翻訳者になりたいと思いました。英語への愛と映画への愛を結び付けたいと思ったのです。そんな仕事を見つけるのにどう取り掛かっていいかまったく分からなかったのですが、きっとなんとしてもそんな仕事に就きたいと思っていたのでしょう。有名な字幕翻訳者の清水俊二さんに手紙を出しましたから。不運にも彼は私を助けることができませんでした。当時、そんな日本で必要とされる人は10人ほどしかいませんでしたが、これは今でもまだそうだと思います。この分野で身を立てるのは大変なことになるぞとおそらく知っておくべきでした。けれど私はあきらめませんでした。私はチャンスを待ちながらバイトで本の訳を続けました。

1969年になってやっと字幕の仕事を始めたのですが、定期的に映画の台本の訳を依頼されるようになったのは、1980年の『地獄の黙示録』以降でした。20年以上もかかったわけです。私は出遅れましたが後悔はしていません。自分の仕事が好きだからです。

仕事をする際に、私は役者のせりふをそのまま一語一語訳すことはしません。日本人は1秒間に平均3文字しか読めないので、使える文字数には制限があります。その結果、私は字幕を役者が実際にしゃべっているせりふより短くする方法を見つけなければなりません。

せりふをまるきり変えなければならないこともあります。文化や背景となる知識を必要とするせりふがあるからです。その知識がないと、見ている人は役者の言わんとすることが理解できません。時々、せりふにはしゃれのように、原語でしか通じないものが含まれています。これらのせりふも変えなければなりません。字幕は見ている人が一回さっと読んだだけで何が起こっているか理解できるくらい十分短く、十分明快にしなくてはなりません。

私が1本の映画をこなすのに通常約1週間かかります。それぞれの映画を3回試写して仕上げます。1回目の試写で原語の台本をスラッシュで字幕単位に分けます。そのとき映画の声を録音して家でせりふを日本語に訳します。

それを終えると、試写室でまた映画を見ます。今度は日本語が映画のシーンに実際当てはまるかチェックします。たとえば“this book”とあればたぶん“この本”と訳すでしょう。しかしもし役者がかなり離れた所にある本を指しているのであれば“あの本”と変えなければなりません。

3回目の試写で実際に字幕をつけて映画の最終チェックをします。これで仕事は完了です。

日本人の翻訳者が英語をよく知っているのは当然のことです。もし訳す際に問題が生じたなら、それらの問題は通常日本語に関するものです。これは言葉は変化するというのが1つの理由で、映画には普通最新の言葉が含まれています。だから私は電車で若い子たちの話し方を注意して聞いたり、時には雑誌からインスピレーション得たりします。

そのうえ映画にはさまざまな種類があります。科学技術、スポーツ、音楽、本当にいろんな種類。そういうわけで言葉であれ文化であれどんな知識でも翻訳者にとって役に立つのです。

私は仕事にストレスを感じません。楽しみだけです。訳しているとき、私は映画の世界に入り込み、頭の中でそれぞれの役者の役を演じます。確かに私は1365日パソコンの前に座りっ放しですが、毎週違う世界を体験しているのです。ある週はファンタジーの世界に生きているだろうし、その次の週は戦争の世界に生きているでしょう。ある週は笑っているだろうし、その次の週は恐怖の世界にいるでしょう。退屈する暇は全然ありません。/


2008年5月11日 (日)

POLESTARⅡ function1

ポールスターⅡ function1

I’m concerned about David ─デービッドが心配─

(デービッドは日本に来ている交換留学生である。リカは彼のクラスメートである。)

David:いつもより静かみたいだけど、どうかした?

Rika:ありがとう、デービッド。今日は本当最悪。悪いことばっかり。

D:大変だね。悪いことって何?

R:全部!まず最初に朝寝坊して授業にダッシュで来なければならなかったの。それから学校に着いたらあわててたから数学の宿題持ってくるの忘れちゃってて。

D:お気の毒。家に取りに帰ったの?

R:うん。でも見つけるのに手間取った。机の後ろに落ちてた。

D:じゃあ余計遅刻だね。

R:授業に20分遅れで大事なテストが受けられなかったよ。

D:あらら。本当大変だ。

R:マジ鬱。

D:その気持ち分かるよ。じゃあ放課後アイスか何か買いに行こう。それで励ましてあげる。

R:そりゃどうも。サンクス。いい人だね。

(デービッドは日本人の家に泊まっている。ホストマザーは沖さん。リカがデービッドに会いに来る。)

O:ちょっと待っててね。デービッド呼んでくるから。彼は学校でうまくやってるかしら?

R:はい、ちゃんと。何で聞くんですか?

O:彼が心配なの。楽しんでいるか分からないのよ。彼の部屋に新しい家具とかいろいろ買い揃えたんだけど、でも喜んでるようには見えないのよ。

R:彼がどう思ってるか聞いてみます。

***

R:沖さん、デービッドのこと心配してた。何か気が動転するようなことがあったんじゃないかって。

D:ホストのみんなには本当に感謝してる。自分の寝室があって机とかベッドとかパソコンとかテレビ、CDラジカセもある。

R:いいじゃない。

D:ホストのお母さんは好きですごい弁当を作ってくれる。それに夜もいつもご馳走を作ってくれる。問題なのは僕は特別扱いされたくないってことなんだ。でもこのことをどうやって丁寧に伝えたらいいのか分からなくて。

R:正直に言えばいいじゃない。僕を普通に家族の一員みたいに扱ってくれって。もちろん、すごい感謝してるってことも言わなきゃだめだけどね。

D:そうだね。沖さんに謝ろう。このこともっと早く話すべきだった。

R:きっとうまくいくと思う。/


2008年5月 4日 (日)

POLESTARⅡ lesson3

ポールスターⅡ lesson3

Doctors to the World ─世界へ飛ぶ医師─

新聞を読めば必ず戦争や地震、飢饉、洪水についての記事が目に入る。これらの記事を読めば、MSFと呼ばれる組織が医師や医療専門家をたびたび被災地に派遣しているのに気付くだろう。

“メディサン・サン・フロンティエール(MSF)”は“国境なき医師団”を表すフランス語である。一団のフランス人医師たちによって1971年に立ち上げられたものである。現在、MSFは大きな国際支援団体へと成長し、70の国々で働く3500人のスタッフがいる。

MSFは政治的に支配されない。資金のほとんどを一般の人々から受けているから、どんな人種、宗教、あるいは政治的背景の人でも助けることができる。2004年、MSFの収入は568百万ドルで、その8割近く団体の個人の支持者から来ている。

MSFはいろいろなやり方で人々を助ける。武力紛争が勃発すると、近くに診療所を開くためボランティアを派遣する。MSFはまた戦争や飢饉のせいで家を追われた難民に医療支援を施す。これは重要な活動である。2005年現在、世界には約920万人の難民がいるからである。

MSFは自然災害の間も助ける。災害が起こると人々をすぐさま助けなければならない。そのためMSFはいつでも医療品を送れるようにしてある。MSFのチームがこれらの医療品を割り当てる。彼らはまた、被災地の人々にきれいな水が十分あるかどうか確かめようとする。

MSFには他の役目もある。たとえばメディアが世界のある特定の地域における人的被害をきちんと公表しなければ、MSFのスタッフがそこでの問題について世間に知らせようと最善を尽くす。

〈山本敏晴医師の言葉〉

私が12歳のとき、父が私をアフリカに連れて行った。私と同じくらいの年の子供たちがスイカを食べているのを見た。スイカの赤い所がハエで真っ黒になっていても気にしていないように見えた。微笑みながら、彼らは近づいて話しかけてきた。ショックと恐怖で私は後ずさりし、打ち解けることができなかった。このことは決して忘れない。国際協力の意味するものについて考え続けた。その後、35歳の医師としてMSFに参加した。本当に意味のある国際協力の方法を探していた。

シエラレオネをご存知だろうか?アフリカ西部にあるこの国は北海道と同じくらいの大きさで人口は約455万人である。ここは医療状況が世界最悪である。子供の3人に1人が5歳になる前に死に、平均寿命はわずか25から35年しかない。2001年、私はそこの病院の医師として働くようMSFにより派遣された。ダイヤモンドの採掘権をめぐる10年を越える戦争の末、学校も病院も破壊されていた。手を洗うのさえ十分な水がなく、電気もなかった。

医師が短期間、ボランティアとして一つの国で働いても、そこのすべての問題を解決することはできない。彼らは自分の仕事はうまくやれるかもしれないが、どんなに一生懸命働いてもその国の全般的状況が変わることはない。思うに、重要なのはそこの人々が自力で困難を切り抜けられるようになるまでボランティアが働き続けることである。

期間が終わると立ち去らなければならなかった。私が去った後も病院がうまく運営されるかどうか疑問に思った。毎日、MSFの医師として患者を治療したあと、私は現地のスタッフに医療技術を教えることに決めた。

国際的に役立つために個人として何ができるのだろうか?MSFの医師のように誰もが外国で働けるわけではないが、いくつか簡単なことをすることによって力になれる。まず、テレビや新聞のニュースに常に注目し、世界でどんな問題が起きているかを調べる。次に、問題の地域にサポートする人を送っているグループについて調べる。そうすれば自分が何をすべきか何か考えが浮かぶだろう。日本では、129千人の人々が国境なき医師団日本のニュースレターを購読し、146千人の人々が寄付金を送っている。そのような行動が国際協力の出発になることがある。/